八月の俳句


彼の日より六十四年原爆忌

  かのひより ろくじゅうよねん げんばくき
  季題は「原爆忌」で、八月六日の広島と、同九日の長崎の双方の犠牲者を弔う忌日です。暦の上の規則では立秋(八月八日ごろ)の日から秋で、その前日までが夏ですが、俳句歳時記では便宜上、原爆忌は夏の終りの季語とされています。 この句は昨年(平成二十一年)の作ですから「六十四年」なので、今年であったら「六十五年」となるところでした。筆者は広島原爆の一週間後、八月十三日の早朝、九州へ向かう列車で広島の駅を通りました。走り過ぎたのではなく、何分か停車したので、その間満員すし詰めの列車を離れ、体を伸ばし、朝の空気を深呼吸したのでした。多分放射能物質を含んだ空気だったのでしょうが。それは兎も角として、広島駅の二駅ほど手前から逆に二駅ほど先まで、緑に覆われている筈の山々の木の葉が枯れて、秋のように褐色に変っており、列車から見える限りの沿線の家々には軒並みに「忌中」の貼り紙のある簾が下げられておりました。当の広島駅は、駅舎もホームの屋根も燃えるものはすべて無くなり、有る物はプラットホームの石とコンクリートに、いち早く修復された鉄路のみで、駅員はもとより、駅周辺にも誰一人人影も無い荒涼たる景色でした。

富士見ゆる裾野に妻の墓洗ふ

 ふじみゆる すそのにつまの はかあらふ
季題は「墓洗ふ」で、「墓参(はかまゐり)」の傍題。初秋の季語。 家内の存命中、その友人からの誘いで富士の裾野にある「富士霊園」に墓地を設けました。そこに今は家内が一人で眠っています。

火祭りはをととひのこと富士見えず

  ひまつりは をととひのこと ふじみえず
  季題は「吉田の火祭(よしだのひまつり)」で、初秋の季語。実は単に「火祭」と言えば十月二十二日、京都鞍馬由岐(ゆき)神社のお祭りで、晩秋の季語になるのですが、この句では下五に「富士見えず」と言っているので、冒頭の「火祭」は「吉田の火祭」であると解されます。このように「季題」というのは歳時記に載っている「季語」のとおりに表記しなくても、それと解る表現になっていれば許されます。吉田の火祭は、八月二十六、七日、山梨県富士吉田の浅間(せんげん)神社で行われる「火伏せまつり」とも言われる富士の山じまいのまつりです。 平成二十一年八月二十九日、富士山麓山中湖畔、俳誌「惜春」の稽古会第一日での作。

2010/8/05 22:15 更新

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